だらだら〜自由自在〜

インディーゲーム制作チーム GAME GABURI でプログラム担当してます

ゲームクリアすることの効果

まず本題に入る前に…この記事で『やまなしなひび』さんの記事を引用させて頂いてますが何分不慣れなもので、引用の作法とか色々失礼なやり方をしてしまってるかもしれないですが、その時はどなたかにご教授頂ければと思います。


挫折したゲーム、クリアしたゲーム:やまなしなひび
この記事を読んで思ったことです。
筆者の方のお母さんがドラクエ9をクリアして、それがお母さんにとって初めてのゲームクリアとなった。という記事。

 でも、それでも「クリアをした」という事実は母にとって大きな自信になったっぽいんですよ。初めて成し遂げたことですから。

と書かれているようにゲームクリアした時というのは(特に初めて)少しの虚無感を伴うような大きな達成感を得るものだったなぁ。と昔の自分を思い出しました。
そして確かに、クリアすることでゲームに対してよく変わらない自信みたいなものが出来た気がします。


やまなしなひびさんでも書かれている通り、今現在、敷居の低さ/開発規模/ゲームの濃さ等でライトとヘビーの2分化がラインナップされたゲームに顕著に現れてると思います。
ライトなゲームは任天堂が、ヘビーなゲームは海外スタジオと日本の大手スタジオが中心になっています。


とまぁ現状確認とかはどうでもよくて。この記事のおかげでライトゲームのある効果に気づくことができました。かなり分かりきったことだし、ただ自分が気づいてなかったというだけの恥さらしみたいなものなのですが…


それでライトゲームのある効果というのは。タイトルにもある通りゲームクリアすることによる効果です。
自分はライトゲームというのを『プレイの敷居が低くて、ゲームに疎い人でも遊びやすいゲーム』とか『開発費が安いゲーム』とかくらいにしか考えてなかったのですが。ゲームクリア後のゲームに対する意識の変化というものに気づいていませんでした。
あるゲームをクリアすると、そのゲームの続編や同じジャンルのゲームに良い印象・ポジティブな感情を持ちます。一種の成功体験ですよね。
あることでうまくいったら、またやりたいと思うのは当然ですよね。達成感とか気持ちよさをもう一度味わいたいと思うはずです、そして自分にそれが出来るという自信もあります。


ただの遊びやすいゲームと言うだけでなく。ゲームに対する得意意識を植えつける効果もライトゲームにはあったんだなぁという、そういう発見です。
やまなしなひびさんの記事には、ライトゲームでゲームに得意意識や良い印象をもったユーザーがゲーマーのパイの中に入り。そしてコアゲーマーとライトゲーマーなどで構成されるパイの各比率がどのように変化して。それが周期性をもって変化している、とかそういうことまで書かれていたと思いますが(すみません違うかもしれないですが…)。この記事(てかチラ裏)ではその一部分

 「私、初めてゲームをクリアしたわ」

という言葉に込められた達成感や感動から、ある日の自分がFF7を全クリした時の事を思い出し。
『そういえばあれってゲームにはまるきっかけだったのかなぁ』と思ったのでこれを書いてみました。
まぁFF7をやったのは中学生のときだったので、多感な時期にプレイしたから少しの感動が何倍にも増幅されて、強烈な印象として記憶されてるのかもしれないです。ちなみにそれまではゲームをクリアしたことなんてなかったと思います。
一応ファミコンからやってるんですが、FF7以前のゲームをやりまくった記憶とかはあまりないかも。となるとやっぱりゲームにはまるひとつのきっかけになった気はするなぁ…まぁ多感な時期(ryなんですが


なんか思いつきで薄い内容のものを書いてしまった…そろそろ寝るか〜